矢野口

矢野口 小字・小地名図

  • ※名所旧跡で現存する寺社は記号で表示しています。

矢野口村

矢野口(やのくち)は、鎌倉時代に名族秩父氏の雄・稲毛三郎重成が所領『小沢郷』の中核だった地域で、現在も小沢峰などに古城跡が見受けられ、また歴史上も重要地点として多くの合戦の舞台となったことも記録されている、「城下町」といった土地柄である。江戸時代中期頃まで「谷野口」や「谷ノ口」、または小沢郷に通じて「古沢(こざわ)」と呼ばれていた。 「ヤノクチ」という地名は、その昔に人家八軒の谷村だったから八人口(やにんぐち)、転じて谷ノ口となったという伝説があるが、「ヤ(谷間、三角地)」+「クチ(入り口)」で、「谷の入り口」という意味とのこと。 上記由来が正しいとすると、大丸・長沼の頁でも触れているが、現在の三沢川が古多摩川の流路であり、その川に直面した谷(現在の根方谷戸)が旧来の本郷であったのではという推測ができる。また、古来よりの神社仏閣がこの根方地区に集中していることも、信憑性の裏付けになるだろう。  東側を神奈川県川崎市と接し、JR南武線・京王相模原線・鶴川街道・川崎街道が通り今も昔も交通の要衝であり、三沢川を境に北は平野、南は谷戸・丘陵という地勢。2020年現在も平野部・丘陵部ともに区画整理が進行中、『古くて新しい街』として発展を続けている。

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