押立
押立 小字・小地名図
- ※名所旧跡で現存する寺社は記号で表示しています。
押立村
押立(おしたて)は昭和二十四年(1949年)と最近まで『北多摩郡多磨村(現府中市)押立』の飛び地であったため、対岸の川北から見て「向島」「川向新田」などの別称も持っていた。 江戸の万治年間(1658~1703年)頃まで、このあたりの多摩川は南北の二流に分かれており、その中島に多摩郡押立村の村人が新田開発を行って『押立新田村』が誕生したと伝わっている。押立という地名は、多摩川の氾濫で土手を押し切り土を盛り立てる様に由来すると云われている。 「オシ(押す、横から力を加える)」と「タテ(立つ、起つ)」という語源で、ここの地形成り立ちから判断するに「多摩川の強流による圧力が、島を起こした場所」といった意味であろう。 川の中島(中州)であった名残で、多摩川に沿ったアーモンド形の町区画となっている。また、町中はいたるところに用水路が通り『水郷』の様子を呈している。昭和期まで府中市の押立の一部であったため、現在でも府中市との繋がり強く残っているということだ。